薬師寺本堂の薬師如来と日光・月光菩薩、AD697年頃の作と言われる。 一昨年、薬師寺で見たときには当然、光背がついていた。正面から見ると、その造形は類型的で平凡。 今回、東京国立博物館に展示されているのをご覧になった方も多いことだろうが、背面の造形に驚嘆されたことだろう。 この時代に、既にこのような造形をしていたとは! 例えば、ミケランジェロのダビデ像、歴史的な斬新さと言う価値はあるだろうが、 この類の傑作と言われるものは、言わば、人間のコピー。 所詮、実在する人間の美にはとても及ばない。 月光・日光菩薩像は、中々なものだが、まだ想定内であろうか。 然し、薬師如来像の背面の造形とくると、とても言葉では形容できない。 仏と言うものが本当にあったとしたら。 そして、優美な月光をもう一度。 よく見てご覧、これ以上の人間を見つけることは中々難しい。 そして、この肉感的な日光月光があるからこそ、薬師如来像の卓越が意識される。 ちなみに、「菩薩」とは、「求道者」の意で、本来、成道以前の釈迦を呼ぶ言葉であった。 釈迦滅後、数百年たって、創成された大乗仏教では、 仏に向って近づく歩みを「方便」と呼び、そのような方便を行じている者を、すべて菩薩と呼ぶこととした。 最初、仏陀(如来)は釈迦ただ一人であった。 釈迦の死後、数百年たって、大乗仏教が開発された。 大乗仏教は発展し、過去、現在、未来の時空、あらゆるところに仏(如来)が満ちているとする所まで来た。 その中心は、摩訶昆盧舎那仏(マカビルシャナブツ)、密教での大日如来だが、薬師如来は、東方浄瑠璃世界の教主。 背面を見てから、正面を見直すと、これはこれで、中々なものと見直すことになる。 中々、良いね。 釈迦の創設したと言われる原始仏教は、 釈迦以前からインド人の信じていた六道、輪廻転生と言う幻想を前提としている。 そして、釈迦が悟ったのも、その教えも、この虚構、幻想の世界から抜け出る方法だった。 この虚構・幻想の世界では、六道しか存在しない。したがって、これから抜け出てしまえば即ち、完全な無になる。 輪廻転生の輪から抜け出たものを仏と名づけるならば、仏は最早、存在しえない。 従って、形になぞ表わせるわけがない。 仏像は、本来ありえないものだ。*1 また、仏教では、何故か輪廻転生の輪から抜け出たもの、即ち仏をすべて、人間の形で表わす。 時空に無限の仏が満ち溢れているとすれば、人類から、至った以外の仏のほうが多いはず。 ここにも、人間を最も優れたものとする人類のおごりがあり、 仏教、そして、ほとんどすべての宗教の持つ限界がある。 なお、密教の仏の定義は、ダイナミックであり、仏を目指して歩み始めたものは、その歩み始めた瞬間に仏と見なされる。仏の要素が1%でもあれば、仏として曼荼羅に描かれる。例えば、鬼子母神、大聖歓喜自在天(タイショウカンキジザイテン)。 さて、これも国宝の、薬師如来像だが、形骸化している。単なる、人間の坐像でしかない。 薬師如来坐像 東京国立博物館 柳宗悦の「南無阿弥陀仏」、「因縁」の章。 「凡夫たる工人からどうして成仏している品物が生れてくるのか」と自問自答している。
世に、「凡夫」以外のものが存在するという幻想。 *1 勿論、本来の仏教に仏像と言うものはなかった。その教えは、悟りをうる為の方法論だから、「悟った人」=「仏」は尊敬されこそすれ、信仰の対象になることはない。 印度から流れ出した仏教が北に向かいアフガニスタンのあたりで、移住していたギリシャ人に伝播した。仏教の「仏と言うのは一つの観念であり、言葉であり、姿としてはないもの」と言う思想は、ギリシャ人にはなじまなかった。そこで彫刻技術に秀でたギリシャ人は、仏の姿を実体化した。ここに、ガンダーラ美術、仏像彫刻の誕生。 仏というものが、一度目に見える具体的な形に造られると、なるほど、これは、万人に極めてわかり易い。これで、バラモン教などの土着の神に対抗できるということで、仏像はたちまち、東に歩き出した。 さらに、この時期、大乗仏教の創成。 出家して、苦行しても、道を悟れるのは、百万に一つ、まして、常人にはありえないこと。ならば、「悟った人」の像、仏像を拝むほうが楽だ。仏像は、布教のための至極便利な道具となった。 なお、仏教世界には、相対という観念しかないが、ユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教世界には絶対と言う観念がある。 なお、悲願であった薬師寺金堂の再建は、昭和51年(1976)4月に、なんと、448年ぶりに成し遂げられた。 再建前の薬師如来三尊には、光背がない。
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