神は、殺してしまった?

そして、新しい神は?



「19世紀の先進社会、ヨーロッパでは、神は19世紀に死に、目に見えないもの、神秘的なもの、超越的なものはどんどん
世界から姿を消していった。世紀前半には、ウォルター・スコットの怪奇小説が大流行し、あるいはゴシックブームが起
き、後半になるとヒステリーやテレパシーが社会現象となった。その背景には、神を殺してしまったせいで行き場がなくな
った、「目に見えないものへの畏敬」や「震撼するような法悦体験」に対する人々の渇望があったに違いないと思う。そし
て十九世紀において、合理主義や実証主義では割り切れないものに対する人々の渇望を吸い上げる最大のブラックホ
ールとなったものが音楽だったのである。」 西洋音楽史 岡田暁生


遠い国の政治問題ほどきれいに苦悩できるのが魅力だと君は言ったが、正確だな。」 夏の闇 開高健


「ここでは壁を東から西にこえようとして人々は射殺された。壁のしたにトンネルを掘って潜りぬけようとして射殺され、運河を泳ぎわたろうとして射殺され、西行きの古電車にかけこもうとして射殺された。けれど、レストランの窓には手榴弾よけの金網が張ってない。ホテルの入口には機関銃がおいてない。ベットのまわりに砂袋の防壁がない。野ネズミを洗面器で煮て食べることもない。中学校の先生が昼飯のさいちゅうに背後からウドン売りのおばさんに討たれて頭を砕かれることもない。いつ降ってくるかもしれない迫撃砲弾を待ってカンバス・ベッドで靴を履いたまま寝ることもない。」 夏の闇 開高健


「この村にもセルビア人がいたけれど……と、アナは、粉で白くなった指で窓の外をさし、言う。
私たちは本当に仲良かったのよ。まるで鎖でつながったにたいに仲良かった」 それが戦争になったら皆セルビア側の村に行ってしまったという。アナはしきりに首を横に振る。
「何度も考えてみたのよ。でも。なんでこんなひどいことになってしまったのか、私にゃどうしてもわからないんだよ・・・・・・」                                                      ものを食う人びと 辺見庸


「ずっと前から、そして今も、人々は政治家のために殺されている」     クリント・イーストウッド 


「資本主義、この"無意識の駄作”は、完成のはるか手前。資本主義というものの、いわば主義ならざる価値法則みたいなものが、非常に脚光を浴び、その効率、成長神話、テクノロジーというものが燦然として輝いたのは、社会主義という”敵”がいてこそ可能だった。今はぼろぼろなのだ。」       「私たちはどのような時代に生きているのか」 辺見庸より

資本主義は、ただ目的もなく自己増殖する本来の姿をあらわにしている。
いつの間にか産業資本を金融資本が制圧して、つまり、虚業が実業を席巻してしまい、社会の全域で道徳観の根本的変化をもたらしている。そこに「修身」だの、「日の丸・君が代」だの国家主義的価値観を持ち込んだって、本当は無理な面もある。なじまないのです。
根源的には反倫理的でしかない投機を”善”なることのように語るのがこの消費資本主義というものです。グローバリゼイションというのもそうです。」                    「私たちはどのような時代に生きているのか」 辺見庸より

「いまの資本主義を支えるのにはどんN政治・社会システムが良いのか、誰も解答を持っていない。資本主義のほうが政治・社会・道徳のシステムを食い破り続けているから。」    「私たちはどのような時代に生きているのか」 辺見庸より

「ローザ・ルクセンブルグによれば、資本というものは「虚空の輪舞」だそうです。それ自体に何の目的もなく、ひたすらむなしい踊りを踊り続ける。そうしたむなしさの最たるものが、この日本にはただよっている。
安価な労働力を探し回っては、他国でモノを作らせ、食糧を大量輸入しては、食いもせずに捨てまくる。食料需給率は、たったの40%。これでは、道徳や人倫を語りえない。」   「私たちはどのような時代に生きているのか」 辺見庸より

「この日本の現在には、道徳というものの生じうる契機があるのか。額に汗して働くということをこん何も小バカにして、投機と消費を、生き残る唯一のすべのように語る。国を挙げて消費や射幸心をあおり、消費者金融が大儲けしている国が、いったいぜんたいどんな道徳をかたることができるのか。」 「私たちはどのような時代に生きているのか」 辺見庸より





















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