開高健   「ベトナム戦記」から「夏の闇」迄



<シャッター反応>   「輝ける闇」  p88〜p90

砦で見た奇妙な光景が思い出される。
ある日、朝の10時頃、私が、ベン・キャット基地の通称、《アストリア・ホテル》の木陰にすわってマーク・トウェインを読んで
いると、ヴェトナム兵が一人、重機関銃をかついでやってきた。
−−−
兵はにこにこ笑って涼しい木陰に入ってくると、重機関銃をおいて分解掃除をはじめた。
ネジをはずし、バネをはずし、一個一個の部品をていねいに油布でぬぐっては並べた。
彼の指は敏捷にうごき、いそいそとしていて、いかにも仕事を楽しんでいるように見えた。
そこへ、ヘインズ伍長が長い手をぶらぶらさせてやってきた。
彼はのんきで気のいいヤンキーである。よくヴェトナム兵といっしょに遊び、馬蹄投げをしたり、バレーボールをしたりして
いる。
−−−
ヘインズは、重機関銃を見かけると、兵のよこへしゃがみ、あっちを先にはずしたらいい、こっちはこうはずすのだといっ
て、手をとって教えはじめた。けっして命令でもなく、説教でもなく、むしろヘインズは遠慮しながらネジまわしの操作を説
明してやった。
すると兵はとつぜん手をだらりとたれ、顎を落とした。
ふいに彼はエア・ポケットに落ちて眼も見えず。耳も聞えなくなってしまったかのようであった。ヘインズが一生懸命しゃ
べっているのに彼はネジまわしをおき、ふとたちあがって、ぶらりぶらりとどこかへ消えてしまった。
ヘインズはしばらくして気がつき、「どうしたのだ?」」とたずねた。
私が説明にかかると、彼はかるく舌打ちし、
「・・・・・・・シャッター反応だ。」
といった。
−−−
虫や獣のなかには強敵に追われていよいよ最後となると、コロリとひっくりかえって死んだ真似をするのがいる。それは”
真似”ではなくて、ほんとにからだのなかがどうかなってしまうではないであろうか。虫にしてみると意識より速い何かの反
射のために足がしびれて、そうなってしまうのではあるまいか。つまり虫はその瞬間、ほんとに死んでしまうのではないだ
ろうか。ひとりでにシャッターがはしってしまうのではないだろうか。

 兵の顔には指示されることへの嫌悪、憎悪、侮蔑、反抗などは見られなかった。
そのような意識らしいものは何もなかった。
ふいに彼は手も足もいきいきとしながら失神してしまったのである。

朧だが痛い感嘆と畏怖を私はその兵に覚えた。これほど精妙で無邪気、また徹底的な拒否を私は見たことがない。よほ
どの消耗がなければこのような無化はできることではないと思えてならない。幾度もどん底におちこんだ経験が少年期か
ら青年期への私にはあったけれど、それほどの状態はまだ知らない。

ここへきてからもそうだ。
水田の畦道や陸軍病院や戦闘直後の草原などで私はいくつとなく変形した人体を目撃したが。けっして《シャッター反
応》を起こすことはなかった。
すぐに私はよみがえって何がしかの言葉を滲出し、原稿を書き、東京へ送った。そしてサイゴンの銀行に振り込まれた
金を受け取り、ショロンで広東料理を食べ、むくむく肥った。
惨禍を見れば見るだけ私のペンは冴える。私は、屍肉を貪るハイエナなのだ。

鋼鉄の船腹にくっついたフジツボほどにも私はあの兵の倦怠と疲労を舐めることができない。
兵はまさぐりようもなく疲弊している。




<欧米列強の桎梏よりアジアを開放する>    「ベトナム戦記」 p146〜p153

太平洋戦争のとき、当間氏は沖縄から兵隊に取られて参戦し、シンガポールへ行った。そこからハノイへ送られ、1945
年まで、日本兵としてかけまわった。1945年、日本は敗れて、キャンプ・サン・ジャックから引き揚げた。然し彼は多くの
日本兵といっしょにベトナムにとどまり、ホー・チ・ミンのひきいるベトミン軍に入って、インドシナ独立戦争を戦った。
ベトナムにはこうゆう日本人がたくさんいて、私は話し合った。彼らはあるいは脱走兵であり、あるいは自発的な残留兵
であった。

彼らはベトミン軍に参加してベトナム兵を帝国陸軍の戦法と規律によって鍛え上げ、大変尊敬された。
水田、ジャングル、山岳地帯、彼らは貧しいベトナム農民兵といっしょに起居しながらわたりあるき、フランス植民地主義
追放のために血と汗をながした。あるものは死に、あるものは生き残った。ベトナム農民兵は彼らを”戦争の神様”だとい
って尊敬した。

”欧米列強の桎梏よりアジアを開放する”という日本のスローガンは当間氏ら無名の日本兵士によってのみ真に信じら
れ、遂行された。
インドネシアにおいても同様であった。

スローガンを美しく壮大な言葉で書きまくり、しゃべりまくった将軍達や、高級将校や、新聞記者、従軍文士どもはいち
はやく日本に逃げ帰って、ちゃっと口をぬぐい、知らん顔して新しい言葉、昨日白いと言ったことを今日は黒いと言って
再び書きまくり、しゃべりまくって暮らし始めたのである。
彼らは、その場その場でどんな言葉でも書ける河原乞食である。

河原乞食であることにウンザリして互いに心のなかでウソつきめとつぶやきあっている酔っ払いの叙情主義者であり、お
ごそかなるこんにゃくである。
おごそかに糾弾し、涙を流して礼拝し、すみやかに忘れ、昨日書いたことを今日忘れ、責任を問われれば人生は虚無
だとつぶやいてうなだれる芸もちゃんと心得た下司下郎である。
すべて、これ、大学と酒場で習得した。








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