縄文雑感 その3 − E.モースの仮説


「羊達の沈黙」や「ハンニバル」そして、「レッド・ドラゴン」。

「飢饉などの極限状態において,あるいは特殊な反社会的,病的な行為として,あるいはまた愛の極限において,人間
が人間を食うことがあるということは広く知られている。
しかし狭義には,カニバリズム(人肉嗜(し)食,食人習俗)という語は,食人が正常かつ合法的な行為として社会的に認め
られていたり,一定の状況または条件のもとで食人が義務もしくは権利として規定されたりしている場合,つまり,社会的
に容認された慣習としての食人を指すのに用いられる。この意味でのカニバリズムは,人類社会にきわめて広く見られる
慣習だと一般に信じられてきた。」

考古学のごく初期にモースは、出土した人骨に刃物の傷があることを根拠に、縄文時代に食人習慣があったという仮説
を出した。然し、その後の発掘調査の積み重ねで、三万体を越す人骨のうち、こうした傷が認められるものは、極めて稀
であることが判り、モース説は死説となった。目出度し、目出度し。



然し、世界では、カニバリズム自体は、珍しいことではないようだ。

例えば、「水滸伝」、15,16世紀ごろの本?
駒田信二訳の百二十回本では、第二十七回に、「母夜叉、孟州道に人肉を売り」の段があるし、山塞にこもる山賊たち
が旅人を捕まえると、必ず、「やろうども、早速そやつの生肝を抜いて、ぴりっと辛い吸い物を作って来い」ということに成
る。
勿論、何しろ、二つ足で食べないものはカラス、四足で食べないものは机と揶揄される国、あながち、水滸伝はフィクショ
ンだからとかたずけられないかもしれない。



インドネシア領、西パブア南部の一部の部族、例えばコロワイ族は、今なお、人死や病気を邪術師のせいにし、これを
殺して食べる規範が残っているとする。
コロワイ族だって、「人間の肉は旨くない」といい、「人間を食べることは悪だ」といっているが、「邪術師は別だ、なぜな
ら、邪術師は人間を食べるから」だとする。



僅か数十年前、フィリッピン・ミンダナオ島、山中にこもった旧日本軍第一四方面郡所属楊陸隊員三十数人は、46年か
ら、47年に投降するまでの間、住民を食料としていた。
1992年、共同通信により報道されている、この現実。
現地住民によれば、野生の豚や鹿、自生する芋を食べて十分自活できたはずだとのこと。こうした住民の生活の知恵が
あれば、勿論、−−−?

この三十年間で、アフリカでは三億人が餓死し、今なお、日々9000人が餓死しているという。年間、300万人以上にな
るわけだが、だがそこで、食人があったという話はあったのだろうか。

アフリカには、海に面した国で、魚を食べる規範がない国々がある。
魚はいくらでも取れるのに、いくら指導しても、魚を食べずに餓死するという。



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