縄文雑感 その2 − ネリー・ナウマン、宗左近


縄文雑感 その1で、およそ縄文時代を研究している日本人の考古学者といわれる人達をくそみそに言ってみた。

ひたすら、穴を掘って、遺物を取り出し、復元して、時代別、形式別に分類するまではよいとしても、本来の仕事、それ
から文明、文化を究明しようとし始めると、とたんに、素人レベル並みの方法論、即ち、空想、想像なんだから、導き出さ
れるものは、すべて、空理、空論。
だから、梅原猛ごときに、しゃしゃり出られる。

まあ、見るべきものは、土器の製造方法の検討くらいかな。

まず、基本的な手法で、文献調査がなきに等しい。文化・文明論を展開しようとするのであれば、世界的な文献調査から
始めるのが普通。
文化・文明論までは行かなくても、例えば、ネリー・ナウマンなどは、日本人考古学者によって、いち早く、和訳されねば
ならなかったはずである。

こんな状態だから、某有名考古学者のように、国際学会の場で外国の研究者に、「新説を発表するら、既説を検討・批判する
のが先ではないか」といわれて仕舞うことになる。
まあ、縄文研究の日本人考古学者は、文献なんか読むのは辛気臭い、まして、横文字なんか見るのもいや、だけど、ひたすら、穴を掘るのは大好きでなった人が多いらしいから、仕方がないことかもしれないね。


さて、ネリー・ナウマンの前に、宗 左近

この人も、梅原猛と並び立つ空想の世界。まあ、詩人だそうだから、そんなもんだろう。

然し、この人は、結構、データを整理して問題提起してくれている。これはありがたい。
いわく、「縄文には土偶があった。−−−特に晩期のものが数多く出土する。推定で、千葉県と山形県がそれぞれ、数
千点。青森県と岩手県が最も多くて、合計一万点以上。日本全土の総数は、恐らく、五万点を越えよう。それなのに、弥
生になると、数十点の例外を除き、土偶は皆無となる。何故か。」
いわく、「紀元前数万年から、紀元後一千年のアジアにおいては、日本の新潟県糸魚川の支流姫川の流域にしか産出
しない。ところが、その翡翠で作られた勾玉などが北海道から大阪湾までのあちらこちら、姫川よりはるか遠距離の遺跡
から出土する。各地の総数、ほぼ五千点。」
この内容はちょっとどうかと思うけれど。


さて、ネリー・ナウマン

カール・ヘンツェに影響を受けたドイツ人の東洋民俗学者?で、岡正雄の影響も受けたといってよいのだろう。
その著書は、その時点の最新のデータを紹介し、且つ様々な学説や文献を提示、引用する、至極まともなもの。中で
も、最後の大作、「生ノ緒(いきのを)」は、縄文文化概論とでも名づける価値があるもの。要するに、通常の手法による
学問を実践している。
最も、一万年に及ぶ縄文文化のごく一部を取り扱ったものではあるが、啓蒙著書として立派なもの。こうした本が何故、
日本人の考古学者と自称する者たちによって書かれないのか。

中公文庫の「日本の古代」全16巻は、それなりのもんだが、どうしても、編集されたものの弱さが目に付く。ナウマンの著
書のような迫力はない。
唯、ナウマンも、従来の日本の学者の縄文文化の解釈は、根拠のない空理空論に流れているとしながら、自説を説き始
めると矢張り、根拠の薄い空理空論としかいえないようなものになる。これは、所詮、宿命か。

それは仕方なしとしても、時に、とんでもない感覚のズレを見せるのは、ちょっと残念。

例えば、カール・ヘンツェのシペ・トッテック類似仮説 - 縄文時代にも人間の皮を剥いでかぶる習慣があったとする説 - に同意しているのだが、これなどは、遮光器土偶や土面を系統的に見ていけば、誤謬であることは明らか。
それに、人間の生皮を剥いで被るような儀式を持つ社会や文明が未だかって、長続きした例があったとでもいうのだろう
か。縄文は一万年だよ。

1931年のオスワルト・メンギンのアイ・マスク説は、直観の過ち、思いつきだから仕方がない。
カール・ヘンツェ説も、同じ類の直観の過ち、単なる思い付き、でも、日本専門ではないから仕方がない?
ネリー・ナウマンは、多大の時間を縄文に費やしているのに、この過ちをする。矢張り、実物を常時、見ることが出来なか
ったのがハンディに成ったのだろうか。

遮光器土偶の変遷を見てみよう。

先ず、初期のとても、遮光器などとはいえないものから順に、段々と目の表現が大きくなって行く。そして、晩期には再
び、初期の大きさに戻ってしまう。





だから、ごく一部の土面の顔や遮光器土偶の形相を見て、生剥ぎした人間の皮をかぶったものと類推するのは、いかに
も、軽率。

目の細い人種が目を強調したかったとか、瞑想している顔、目をつぶって祈っている顔とか、死人の顔とか、仮面をかぶ
った顔だとか、そんな単純な想像が出来るものを、アステカの一例に、無理やりこじつけるとはね。


                                       岩手・大東町大原遺跡11.2cmL   


こんな顔をした日本人は一杯居る。



それに、一部の縄文人がお好みの蛙さまの目だって、日本の奴は瞳孔が横に切れている。


                                神奈川県・川崎市・下原遺跡出土・東北の土偶     




これらをまさか、人間の皮をかぶったものとは思えないだろう。

                         青森県・浪岡町羽黒平遺跡10cmH                       中期・山梨県・中溝遺跡





晩期・青森県・宇手追跡出土・母 晩期・青森県・宇手追跡出土・子




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