これらの土器は、神酒の醸造に使われたとの見方が一般的なようだが、何故そう決め付けるのだろうか。学者連中は、
何時も、さかしらげに私見を押し付けようとする。
醸造器説に凝り固まった井戸尻考古館Gなどは、孔に紐を通して皮を固定したのだとすると孔の擦れがないないという
理由で太鼓説を否定する。
太鼓の皮の固定法なんかいくらでも考えられる。現に、孔の列の下に、必ず鍔があるじゃないか。融通無碍な縄文人が
太鼓としても使わなかったわけがないと、どうして考えないのかな?
太鼓としても良く鳴ることが、浅間縄文ミュージアムの展示で判る。
下は、前期の漆塗り有孔無頚壷。これも、醸造器とすれば、既に、縄文前期で酒が造られていた?
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