縄文文化の謎 土偶 呪の世界


縄文文化に文字があったのか?
世に有名な偽書、偽文以外には、少なくとも、今、文字での記録は発見されていないとされている。

だから、幸運にして、誰でも勝手気ままに、その文化の謎を語ることが出来る。
素人だって十分参画できる。これはなんとも、実に面白い。

縄文文化の解析作業は、学者の中では、どういう人が適任なんだろうか?

どうも、穴掘り・分類重点人間の考古学者が適任だとは思わないね。
そもそも、岡本太郎が大声を張り上げるまで縄文の美を語ることがなかった程度の貧しい感性じゃね?矢張り、考古学
者はデータをせっせと提示するのが役目で、心理学、民俗学、民族学、文化人類学、哲学、自然科学等々、別分野の
人に語らせると良いのだろう。


今回、数冊の本を読んだが、その中では、神話学者(こんな学問があるとは!)の吉田敦彦氏の著書が面白かったね。

大胆な仮説の明快な展示。
結構、根拠も提供されているから、もっともらしく聞える。
まあ、そもそも神話学なんて、正解がない、類推、推理、謎解きの世界だろうから、こういう作業は慣れているんだろう。
普通のタイプの学問の学者さんには、中々こうは、大胆に言い切れないところか。
ちょっと、断定的なことを公表すれば、直ぐ、「何でそんなことがいえるのだ」とか、「そんな推理小説みたいなことをいっ
て、学問的にどういう価値があるのだ」とか、「邪説で、人を惑わすな」とか、非難ごうごうになるか、完全に無視されるか
のどちらかだろうね。


さて、ある時期、ある地方の土偶は、ほぼ100%が破壊された状態で、しかも、大量に出土するらしい。吉田氏や考古学
者の水野正好氏等は、これを再生を願う為と推定されている。なるほど、破片を祀ったり、埋めたりする行為は、地から
生命が発生するのになぞらえたと考えることもできる。千葉県・西広貝塚、140点、岩手県立石遺跡、180点、同県・小田
遺跡、茨城県・立木貝塚等の例あり。




特に、山梨県の釈迦堂遺跡からは、1000個を越える破壊された土偶が出土しているとのことだが、そのすぐ隣の長野県
の遺跡、井戸尻ー曽利遺跡等では、何故か、こうしたものの出土数は少ないという。




関東・甲信地方出土の中期の土偶や顔面把手のあるものは、釣り上がった目、上をむいた鼻の穴等の独特の顔を持
つ。

この中で、片目が異常なもののみをシャーマンだという見方があるようだが、如何だろうか。


ごく平凡な表情のものが大半を占めるのだから、片目が異常でなくとも、こうした独特の顔を持つものは、すべて、シャー
マンではないか?

把手についているものは、母神、大地母神だという説がある。


確かに、須玉や井戸尻の表裏異なる顔・姿を持つ造形を見ると、或いは、全て、カミの表の顔、そのものを表していると
思いたくなる。



縄文の土器や土偶は、本当に油断がならない。だれが、この様なのほほんとした表の顔の裏に、怖ろしいものがしがみ
付いていると思うだろうか。



さらに、もっと面白いのが、世界に類を見ない特異な土偶たち。
実はこの方が、もっと大きな謎。

遮光器土器は、つとに有名だが、他にも、ピカソといえども及ばない、しかも人間離れしたものがゴロゴロしている。あた
かも、こういう生物が存在したとでも、思いたくなるような造形だ。

仮面をかぶった姿を写したものだという説もある。まあ、そうだとしても、極めて独創的で優れたな造形であることには変
わりないだろう。







後期や晩期になると、比較的平凡な表情のものが多くなるようだが、依然として信じられないような特異な造形も創られ
る。




強烈な印象で有名な遮光器土器も、縄文末期にちかずくにつれて穏やかな表情を持つものに変わってくる。



なお、黒光り表面で有名な遮光器土偶を初めとし、ほとんどの土偶が彩色(ベンガラで赤色に)されていたという。


次は、恐るべき動物土偶の世界。

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