日本とは、そして、日本人とは  ”戦後責任”、そして”憲法改正論”


敗戦の日、宮城前広場の砂利の上に突っ伏して、慟哭していた人たち。この人たちは、泪を流し、砂利をつかんで何を
悲しんでいたのだろうか?

そして、宮城の中に鎮座していた天皇族。




敗戦で自決した軍人、自決した一般市民。
のこのこと、宮城を出て、敵将を訪問した最高責任者。公表されたその記念写真。




憲法改正の手続きを定める国民投票法案が可決された。憲法改正といえば、9条をどうこうするということのみが云々さ
れている。
まことに恥ずかしいことだが、今回、初めて、まともに、憲法というものを読んでみた(日本国民の何人が、日本国憲法を
通読しているのだろうか?)。

なるほど、大変なものを、我々は憲法としていたのだ。
これは、絶対に改正しなければいけないのではないか?


なんと、第一章が天皇、そして、第一条から第八条まである!
しかも、その第一条は!

日本国憲法  第一章
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民の統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の
総意に基ずく

<ノーム・チョムスキー>
「−−−日本が、誰もが知るところの真の戦争犯罪人である天皇の下、以前のファシズム体制を復活させて国家を再建
しようとしていたからです。それも、アメリカの覇権の枠組みの中で。」
<辺見庸>
「同時に締結された日米安保条約と共にサンフランシスコ体制という、日本の対米盲従体制を作りました。是が今日もつ
づいている。」
<ノーム・チョムスキー>
「日本はその状態に痛く満足していた。それで富を蓄積することが出来たからです。日本の戦後復興はこのようにしてな
された。−−−だがもしも憲法を変えるというなら、確かに由々しいことでは有ります。然し、50年にわたってアジア地域
での戦争に貢献してきたことに比べたら、些細な問題です。」
ノーム・チョムスキー著、「メディア・コントロール」、辺見庸との対談より


我々は、他国人に真の戦争犯罪人と言われる者を、憲法の最初の段で、我々の「象徴」として奉っているにしているの
だ。
それは、今も、我々、日本国民の総意なのだろうか?
こんなことで、我々、日本人は、世界に向って、平和憲法を持っていると、胸を張れるのであろうか?

天皇を日本の象徴にする何て、日本国民の誰が、その意思を問われたことがあるのだろうか?
この一点に限っては、確かに、この憲法は、誰か一握りの奴等に、押し付けられたものだといえるのだろう?



然し、戦後良心派は、「平和憲法だ、戦争放棄を護るのだ」と騒ぐが(騒いでも居ないか?)、何故、「天皇制全廃」を最
大目標にしないのか。
最大の戦争犯罪人であり、多数の人間を殺して仕舞った昭和天皇を処断するのは、天皇体制に盲従した日本人ひとり
一人の責任であった筈ではないのかな?

1945年2月、近衛文麿首相は昭和天皇に「敗戦は必至なので降伏を遅らせると国体そのものが危くなる。だから今の
内に和平交渉を始めるべきだ」と進言しました。これを昭和天皇は「国体護持のためにはもう一度戦果を挙げてからでな
いと難しい」として近衛の進言を斥けたのです。
この後、3月10日東京大空襲で10万人が焼き殺され、3月末から6月にかけて沖縄戦で多数の民間人が殺され、8月
には広島・長崎への原爆投下、シベリア抑留につながるソ連の参戦などが起こった。    *高橋哲哉、反・哲学入門

2月から8月までに殺された日本人の総数?

「原爆反対」を叫ぶ人たちは、「原爆の惨状」を訴えつずける人たちは、「国体の護持=天皇制の維持=天皇自身の保
身」のために、敗戦を遅らせ、原爆投下を招いた昭和天皇の責任をも、何故、追及しないのか。

マス・メディアは、昭和天皇が国民を救うために終戦の「聖断」を下してくれたから最悪の結果を免れたというような神話を流しているばかりか、

現在も、諸悪の根源であった天皇制がいまなお存続しているのに眼をつぶっり、どうでも良い天皇家の動向までを大々的に取り上げる。
皇太子妃がいじめで、ノイローゼになろうとどうなろうと、そんなことはゴミのような問題でしかない。継承者になれる男子
が生まれたからといって大いに寿ぐとは。

昭和天皇が、A級戦犯の靖国合祀に反対だったなどと、麗々しく取り上げる。靖国合祀に反対だから、参拝しないなどと
はよくもいえたものだといわれるのではないか?
本来、敗戦時に責任を取るべきであった天皇は、自分にだまされて死んでいった人々、過ちにより殺された人々の墓に
は足を踏み入れることなど許されないのが常識ではないか?
A級戦犯だって、殺されたんだよ。誰の為に働いて殺されたのか?


こんなことを言えば、直ぐ、「戦後良心派が何を」、とそしられる。

それどころか、
「政治家という範疇の人が天皇制について批判的な発言をすると、命すら危ないというのが日本社会の現実。学者が論
文で書いている限りはあまり右翼の人は読まないかもしれないが、それだって象徴性を帯びてくれば危ない。」      
     *高橋哲哉、反・哲学入門

でもね、もう一度言うけれど、他国人から最大の戦争犯罪人と言われた一族を象徴に奉っているのは、とてつもない異常なことじゃないのかな?


戦後責任問題で、南京虐殺がとか慰安婦がどうとか言っているような話じゃない。天皇制問題は聖域だからと眼を瞑っ
ていてよいのだろうか?

勿論、天皇や天皇族が個人的に悪いわけではない。彼らも、被害者であることは確か。
然し、皇位継承ー女系天皇容認論での博仁親王(三笠宮)発言に見られるように、天皇族には、連綿とした教育としつ
け、マインドコントロールで刷り込まれてしまったものがある。これが、所謂、日本帝国主義の「日本は神の国」派に利用
されてしまう。

だから、憲法改正で、第一にやるべきことは



我々の年代、丁度、敗戦時に小・中学生だった者は、大方の人が天皇制に対して良い感情をもって居ないようだ。
面白いことに、終戦時に幼児だった年代、まだ生まれていなかった年代は、さほどの悪感情は持っていない?
さらに、ある年代からは、悪感情を持つこと自体が不思議なことと受け止められる?

昭和天皇の戦争責任や天皇制をどう思うかについての年代別のアンケートをとってみたらよい。多分、戦後良心派、護
憲派等にとっては、怖気を奮う結果になるだろう。


大日本帝国憲法

第一章 天皇
 第一条   大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す
 第十一条 天皇は陸海軍を統帥す
 第十二条 天皇は戦いを宣し和を講じ及諸般の条約を締結す


最高責任者が責任を取らない国、そして、国の象徴が責任を取らない国。

その国民は、どのようにして、責任を取れるのであろうか?



    
*戦後責任論  高橋哲哉



第二次大戦後に、米国が行った侵略戦争は、明確な敗北を喫したヴェトナム戦争を含め、数え切れない。
彼らは、今もなお、イランで人殺しをつずけて居る。

アメリカ合衆国には、戦後責任という言葉は無い?
戦後責任が金になれば、実施するだろうがね!


第二次大戦後、米国の侵略戦争に経済的に十分加担した日本、そして、
イラン侵略戦争には、ついに、軍隊を派遣してまで加担した日本、
責任はない?


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