火焔土器と一線を画す、一方の雄が水煙土器、呪(しゅ)の構造。
火焔のどこか動物的な臭いのする、完成された、然し、時に類型的な造形に対して、水煙のトポロジカルで自由なデザ
インは、まさに超現代的で、一歩上を行くものかもしれない。
この水煙を、アントニ・ガウディ・イ・コルネットが見たら、筆を折ったかもしれないね。
もっとも、これぞ水煙と区分されるものは、あまり数が出ていないようだが、これも、このタイプのデザインの難しさが原因
かもしれない。
* 上の写真の一部は、文様を見やすくするために加工してある。実物には、この様な色はついていない。
こういうものは、どんなに上手くとっても、写真では駄目(中でも、記録するという本来の目的を忘れた、変に芸術ぶった
商業目的の写真は、最悪、最低)。
こればっかりは、どうしても実物を見なけりゃ、その力は感じられない。
この中で、須玉町歴史資料館は、目玉の品の素直な展示方法が素晴らしい。
釈迦堂、山梨県立、共に、肝心の目玉としているものの展示方法、特に照明方法が良くない。監視員をつけられない以
上、ガラス箱の保護は必要なんだろうが、ガラスへの写りこみを防ぎ、且つ、余計な陰影の出ない均一な明るい照明が 必要。金を取って見せる以上は、その責任がある。
水煙として、完成されたデザインのもののほかにも、色々な試行がされているようだ。それはそれで、又、魅力あるものも
存在する。
あのバークコレクションの縄文土器は、火焔なのであろうか、それとも。
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