♪ 言いたい放題 運命・ハッタリ!


丸山真男氏が、天満敦子氏のリサイタルを聞いたあと、「今日の天満敦子は良かったではなくて、今日は、良いベート
ーヴェンを聞いたいう感想が出るところまで成長してほしい」と本人に言ったとある。(中野雄 丸山真男 音楽の対話)
初め、読んだ時は、てっきり、天満氏がからかわれているなと読み飛ばしていた。
ところが、後を読んでみると、何と、そうなるための具体的な方法を示唆している。「特定の人間の特定の曲のレコードを
聞いてみろ」という。
缶詰音楽は、ある録音条件で録音され、ある再生装置で再生されるものをある個人が聞いたもの。そんなものを、「これ
こそがベートーヴェン、これこそがバッハ」だと他人に、推奨するのは、こりゃ、驕りだろう。
やせてもかれても、プロだよ。それに、仰々しく教えるとは、何様だと思っているんだ。

兎に角、旧制一高、東京帝大卒、そして、東大教授というエリートといわれる輩に共通する、我こそは神であるという、唯
我独尊、人を見下した自尊心がこういうことを言わせるのだろう。

それに、彼の感性は、所詮、貧しい。
例えば、彼が推奨するケンプのシューベルトなんてゴミ、シューベルトはあの感性だけのホロヴィッツよ、ということにな
る。

加えて、コメントは、クサイ。
「ベートーヴェンは、人類の為に書いた」なんて云っているが、典型的なクサイ、コメント。


話は、がらっと変わるが、誰でも知っていて、誰も聞かない曲。例えば、運命。
人は生涯で何度聞くだろうね。皆さんが名曲中の名曲とおっしゃるが、昔から、私は、この運命や熱情、合唱つきなんか
には違和感があった。

ここでは、丸山真男氏に訓えられた。
氏が運命について、「私は、こういうモノモノしいはったりを好む一面があるらしい!」と言っていらっしゃる(中野雄 丸山
真男 音楽の対話)。

なるほど、こういう曲は、偉大な実験であったとは言えるかもしれないが、所詮、偉大なる失敗作だったんだね。

運命、熱情。皆、初めのフレーズですべてが終わってしまう。
後は、曲として成り立つようつじつまを合わせただけ。
だから、単純でいじりようがない。だからこれが決定版という名演が生まれるわけがない。米国にデビューしたてのリヒテ
ルがむちゃくちゃにぶっ叩いた熱情たって、それなりのもんだ。兎に角、最初だけで決まってしまう。

合唱付きは、合唱部分が問題。
売り物の合唱が始まったとたんに、がくんと品が落ちる。
成人の肉声を使う以上、これは致し方ない現象なんだろうが、ここで生々しい肉声を使わなければならない必然性は全
く無いのじゃないか。
これぞ官能ていう肉声は下品なもの、例えばオペラなんかにとっておかなくちゃ。
でも、これには文句をいえない名演が一つある。ユダヤ血統のバーンスタインが東西独逸の再統一を祝って、ベルリン
で振ったやつ。集まった人達が全身全霊で歌ったので、人々の激しい喜びがほとばしるものになった。良いものは良
い。

楽聖に造られたベートーヴェン。
その交響曲の1810年代のパリでの評判は、「奇怪で、無様で、散漫で、無骨な転調や荒っぽい和声はとげとげしく、旋
律も無ければ、表現も大げさ、やたらと騒々しくて、恐ろしく難解」。
最も有名なヴァイオリンソナタを献呈されたクルーツェルも生涯、その「クロイツエル・ソナタ」を演奏することは無かった
という。
日本でも、初めてベートーヴェンの演奏を聞いた有名人?達は、なべて、その異質の音楽に戸惑いを感じていたよう
だ。

我々は、もう楽聖の音楽という先入観無しに聞くことは出来ない。これは、幸せなことなのだろうか。
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