♪ 言いたい放題 音楽が、最も官能的な芸術?

丸山真男氏、有名な政治思想史学者。

しかし、ある時期から、本業より、趣味であるクラシック音楽の鑑賞にどっぷりつかっていた。
小説家が食物の随筆を書き始めたら終焉だそうだが、同様に、本業が限界になって、音楽に逃避したのだろう。

弟子の中野雄によると、その素養は素人離れしたところがあったんだそうなんだが(「丸山真男・音楽の対話」)、そのコメ
ントは、所詮、ちょっと程度の良い素人のレベル。まあ、本業の学者としての名声が、たいしたことがないコメントでもあり
がたらしたんだろう。

それに、同氏は、いくらなんでもちょっとどうかと思うところがあった。
例えば、これも有名な吉田秀和氏との対談の中で、「僕が思うには、音楽くらい官能的な芸術はないんじゃないか」との
たまっていらっしゃる。
これには、流石の吉田秀和氏も絶句しているような雰囲気。
すべての芸術は官能的だけれど、「音楽くらい官能的な芸術はない」というのは、いささか、どうかな。


例えば、絵画。

ピカソ、生命の画家。

はじめて、ニューヨークの近代美術館に行った時、あまたの絵画の中で、わずか3号程度の小さな絵に遠くから呼ばれ
た。それがピカソ。

サイズに関係なく、そのスタイルにも、年代に関係なく、遠くからでも呼んでくれたのは全てピカソ。それ以来、私にとっ
て古今東西、世界最高の画家はピカソになってしまった。





パリの近代美術館。

泥棒市めいたルーブルに行くと腹が立つので、専ら近代美術館。

もう二昔前のことだけれど、パリに行くたびに、ここに休みに行くのが楽しみだった。回り全体がゴッホで、ゴーギャンで、
ルノアールで、部屋の真ん中の椅子に座って、じっと目をつぶっていると愉悦の波が押し寄せてくる。
監視員のおばちゃんがそっと肩をたたいて、「もう閉館だけど後10分、私が着替えてくるまで良いよ」と言ってくれる。見
渡すとルノアールが笑っている。「あ、笑ってる」というとおばちゃんが立ち止まって、「ほんとだ」という。

システィーナ礼拝堂の天井画。

もうこれは何も言わなくても良いだろう。ミケランジェロを頭上にいただいて恍惚と酔いしれる世界だ。




病身で動きが取れなかった丸山真男氏は、こういう体験が無かったんだろうね。


余談だけれど、何年か前に、上野の森美術館にピカソ展を見に行った。
なんと、なんと全ての画がガラスの中に入っていた。これでは、死んだ魚を見るようなもので、さすがのピカソも、その力
が全く出てこない。ガラスに映りこんでいるものと一緒に見るのは、複製を見るのよりたちが悪い。最悪。 金返せ!
然し、見に来ている人は、誰も文句を言わない。見せるほうも、見るほうも、日本て、未だDeveloping country ?。


これも余談だけれど、お客さんとパリに来ると、ルーブル、そしてモナリザは絶対に案内しなければならない。だけど、誰
一人として感心した人は居なかった。みんな、なんとなく気の抜けたような顔をする。ミラノの最後の晩餐もそうだけれど、
ダヴィンチなんてあんなもの、精密、色つき設計図。ウイーンを流れている「美しき青き」ドナウみたいなもんだ。



絵の世界と言うのは、突然として開く。今まで、何回見ても何にも感じなかったものが、ある時、突然、輝きだす。愕然と
する。
面白いもので、一度、光りだすとどこであっても、その人の描いたものは全て判るようになる。
フラ・アンジェリコ。こういった類の絵は、どうしても抵抗があった。先ず、なんとなく醜いと感じるところがあるじゃない。
それが、一度美しいと感じると、あの嫌いなルーブルにも行って見てこようという気にもなるんだな。

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