♪ 言いたい放題 グールドのモーツアルト

ピアノ曲にも、若いときには弾けない曲があるもんだ。

例えば、展覧会の絵。こういう遊びの曲は、売り出しの若手が弾くもんじゃない。
まともにやれば、必ず、誰かの二番煎じになってしまうし、だからといって、元々解釈の変えようが無いものだから、こねく
り回せば回すほど独りよがりの支離滅裂、収拾が付かなくなってしまう。
まあ、トロイメライのような曲を臆面も無く人前で弾けるようになるまでは、手を出さないほうが良い。トロイメライはテクニッ
クは必要ない、誰でも弾ける。しかしこんな単純な曲想でやさしいもの、しかもスローな曲を人が聞いて面白いと思うよう
に弾けるかは、その人が、その時もっている感性による。主に、間だよ、間。

展覧会みたいなもんは、そういちゃ何だけれど、噺家の踊りや唄みたいなもんだ。まあ、都々逸みたいなもの。長唄、小
唄、新内までは、若手の天才というのがありうるそうだが、端唄、都々逸となるといくら才能が有ったって若いうちは駄目
だ、て言われている。
展覧会はそれにしちゃ、長いか。プロムナードでつないでゆくんだから、精々、小咄の連続かな。こういう類のものは、兎
に角、粋に、しかも華やかに、タッチと間で聞かせないとね。

展覧会は、ホロヴィッツ。
「ホロヴィッツに、ネコの脳みそほどの知性も期待している奴はいないよ。しかし、彼の演奏は素晴らしい」と、ハロルド・シ
ョーンバーグにいわれた名人。誰もホロヴィッツでベートヴェンなんて聞きたいと思わないだろう。けれど、こういう類のも
のを弾かせたら右に出るものは居ない。後は、リヒテルかな。芋虫みたいな指で、ミスタッチはお手の物のご愛嬌だけれ
ど。

展覧会とはちょっと違う類の感性が必要なのがモーツアルトのピアノ・ソナタ。
子供には易しすぎ、プロには至難と言われているのだよね。
ホロヴィッツは、ハイドン、クレメンティ、スカルラッティなんかは良いけれどモーツアルトは聞かせようがないみたいだ。
リヒテルだって、バッハの平均率なんて古今未曾有の名演があるけれどモーツアルトは、平凡。内田光子のがあれこれ
言われるけれど細工しすぎ。ピリスは、素人受けするようだけれど、いつも走りすぎ、叩き過ぎ。それに、なんでも勝手気
ままに変えすぎる。
デムスは、おもっくるしい。といっちゃうと、じゃあ誰がということになるが、まあ、古いところでギーゼキングが定番、それに
もう死んじゃったけれど、ワルター・クリーンがちょっと良い。お師匠さんのミケランジェロの透明な音で聞きたいなと思う
けれどね。

まあ、モーツアルトは年をとらないと駄目というわけでもないだろうから、縁がありゃ、そのうち、これはというのにぶつかる
だろうと思っていたら、何と、グールドに当たった。
グールドのバッハは、変にこねくり回しすぎで、いただけないが、このモーツアルトは決定版。特に、ゆっくりした曲の絶
妙な間は絶品。要するに、こんなたいしたことがないものを面白く聞かせるには、卓越した才気と強烈な集中力が必要だ
ったということ。
こういうアルバムを聞いていると、グールドが演奏会をやめざるをえなくなった理由が良く判る。

ところで、モーツアルトのピアノ曲は、チェンバロ、フォルテピアノ、近代ピアノ、どんな種類の楽器で弾くのが良いとおも
う?
フォルテピアノもモーツアルトが使った楽器なんだろうが、不完全で安っぽい楽器だから、どれも薄っぺらな音がする。
それにどうしても作動音が耳に付く。さりとて、改良したら、何をやっているかわからないから、まあ、完成した近代ピアノ
を使うのが順当なんだろうね。
古楽器派のロジャー・ノリントン氏が言っている様に、「何故、古楽器を使うかって。より、面白い音楽が作れるから。それ
以上の理由は無い」のだから。

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