予てから、縄文土器、例えば、大洞A式の見事な壷の存在に首をかしげていた。 縄文晩期、既に、轆轤が有ったと考えるべきなのだろうか? 大洞A式 青森県青鹿長峰遺跡出土 21.5cmH 風韻堂コレクション さて、NHKのバンチェン遺跡の放映をチラッと見てびっくりした。 轆轤がなく、代わりに、なんと人間が壷の周りを廻っていた。 そして、現在まだ行われている野焼きの土器の製作。 これら、現在の製造品は、水瓶として南米やアフリカで使われているものと同じもののようだ。 即ち、透水性の素焼きの土器。 これに水を貯えておくと、表面からしみ出た水が蒸発し、その蒸発潜熱で瓶の中の水が冷やされる。 熱帯には欠くべからざる容器。 下は、バンチェン遺跡の出土品、彩陶。 BC1000−BC500 これらは、BC1000〜500年のもの。 即ち、縄文時代晩期末に相当する。 この時代には、既に、わが国では、最初に紹介した見事な大洞式土器(陶器ではないが)が製造されている。 バンチェンはタイ東北部に位置し、人口が少なく資源も乏しいために、タイ政府が貧困と見なしている地域にある小さな村。ステファン・ヤングなる米国学生が1966年7月にバンチェンを訪れた折、道路建設現場から、淡黄色の地に朱で複雑な渦巻模様のかかれた数個の壷を回収し、これが遺跡発見の端緒となった。これらの壷は、他の東南アジア、中国、インドの何れのものとも類似しない独特のものだと言うことが判り、更に、その後の発掘調査で、B.C.3600〜B.C.250の多様な遺物が出土している。
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