唐草文様は、古代から広く世界各地で好んで用いられた。
唐草文様の起源は古代エジプトの睡蓮の文様にあるといわれる。 開花の睡蓮とつぼみの側面形を交互に弧線で繋いだり、渦巻文組み合わせたりするものが見られる。 それらが地中海文明を経てギリシャにいたりパルメット唐草となった。 この文様が、ローマ、西アジア、インド、中央アジア、東アジアなどに伝わり、各地で多様な模様へと変化した。 仏教美術では、仏像の台座や光背などに用いられている。 睡蓮以外のモチーフでは、葡萄、石榴などが多く、中国唐代では牡丹唐草の豊麗なものとなった。 正倉院宝物中にも西方から伝えられた多くの唐草文様が見られる。 そして、 約5000年前の縄文中期に、全世界に先駆け、最も抽象化され、洗練された唐草文様が忽然として、創造される。 これも、数ある縄文の謎の一つ。 先ず、中期の品で、岩手県・繋遺跡出土の堂々たる大木8b式。 左、50cm高、中及び右、45.5cm高 長野県でも、中期に。 益田遺跡・46cmH 塩尻市・床尾遺跡52.0cmH38.0cmOD平出遺跡考古博物館 棚畑遺跡 福島県にも、縄文中期、唐草文様が出土する。 左は、三春町・蛇石前遺跡出土、その他は、天栄村・桑名邸遺跡出土のもの。 僅か、8.1cm高の可愛い壷だが。 関東地域でも。 先ず、千葉県市川市、姥山貝塚出土(B.P.4500±110)。 これは、東京都。 中期・曾利式・多摩市・多摩ニュータウン・No.72遺跡・53.4cmH 中期・八王子市・椚田遺跡・63.8cmH そして、再び、東北地方は、岩手の逸品。 中期・岩手県・盛岡市・柿ノ木平遺跡・41.5cmHX38cmOD・大木式
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