土偶との遭遇

ユーラシア大陸の旧石器時代・後期の女性小像
Female Figurines of the Upper Paleolithic

カレン・ダイアン・ジャネットによる解説 ; 過去の諸説について

第二章 その一 大地母神説、最高女神説

古代に大地母神宗教があったとする説は、新石器時代考古学において、より強く支持されているものの、後期旧石器時代の女性小像が、更に古い宇宙論的に重要な大地母神の儀式のための彫刻であるとする説も、たびたび、浮上してくる。

この第二のグループにくくられる様々な説は、最も普遍的な解釈を含み、そして素人好みしそうな説をも含んでいる。


* ジーン・アウル

例えば、Jean Auel:ジーン・アウルの広く普及した、始原への旅立ち、エイラ―地上の旅人、シリーズ、Earth's Children seriesは、三万年前の旧石器時代の女性の生涯を描いた年代記である。
この極めてよく調べられ、詳細に描かれた小説は、現在得られている様々な遺跡や遺物の情報を、Ayla:エイラと呼ばれる主人公がいろんな居住地をさすらう話の中に取り入れている。

例えば、フランスのDrodogne地域は、Jondalar of the Zeladoniiの居住地、Dolni Vestoniceの遺跡は、S'Armuni、これは、狂気の女性が専制的なリーダーである民族の居住地、そして、Kostenki-Avdeevo遺跡は、マンモス狩猟者の居住地と云ったような具合である。
又、これらの居住地の遺物、墳墓、そして、工芸品や住居を飾る模様は、それぞれそこに住む住民の遺物の特徴を取り入れている。



Map of Zelandonii Territory from the travels of Ayla of the Mamutoi in the book 'The Shelters of Stone' by Jean Auel.

アウルlは、考古学的なデータと彼女の時代に現れた諸種の解釈を織り交ぜて、先史時代の日常生活を巧みに書き表す。
この小説では、ネアンダルタール人のいまだ議論が残る消滅について、或いは、旧石器時代の女性の彫刻の目的などを言及しつつ先史時代の人類の歴史を記述する。
彼女の小説では、地域の差はあるものの、クロマニヨン人は地母神を崇拝するものとされ、女性の小像は、doniiドニイと呼ばれて、旧石器時代の人々の女神の表現とされている。

オウルのこの地母神が描かれた小説は、全世界的に200万部売れ、これによって、一般大衆に旧石器時代の女神神話が広まった。


* J.J.バッハオーエン

女性の小像を、先史時代の繁殖・多産の女神とする説を唱えたのは、1856年に発表されたJahann Bachofen:J.J.バッハオーフェンによるものが最初である。

彼は、先史時代には、女神の崇拝や強力な女家長制度があったという説を唱えた。

バッハオーフェンは、女神は、単に、若い人間や動物を限りなく生み出す、豊穣力を表すにものにすぎないという説を取り上げ、これを発展させて、大地女神、地母神にまでにした。
彼のこの主張は、その時代では、あまり拡がらずまた、受け入れられなかったが、1960年代に至ると女性の研究者に取り入れられ、彼女たちの旧石器時代の地母神信仰説の基本とになった。

1960年代の女性解放運動によって、女性の学究的世界への進出が始まるとともに、女性小像に対する従来の研究方法やその研究内容への反論が、一気に激しくなった。
バッハオーフェンの講義を引用して、彼女たちは、初期の研究に現れた男性に対する偏執的な優越主義
原始社会における女家長制度をあまりに強調した(バッハオーフェンの)研究、そして、初期の宗教の中で母権が非常に重要だとする彼の意見をも攻撃している。

この時代の多くの研究者たちは、男性も女性も共通して、女性小像を旧石器時代における宗教のなんらかの女性の様相を表すものと想像している。


Gertrude Rachel Levy:ガートルード・レイチェル・レヴィは、1948年の石器時代の宗教の起源についての研究の中で、旧石器時代の女性小像を人間の繁殖への崇拝の例であるとしている。

レヴィの研究は、先史時代の宗教的、芸術的、そして社会的な思想が近代欧州思想の根底にあって、それらが、いかに大きな影響を及ぼしているかを示すことにあった。
彼女は、その著書である「The Mother Goddess and the Dead:大地母神と死者」で、旧石器時代の女性小像は、新石器時代の女神の像の祖先であり、「人間と絶対神である神(女神)との関係を作り上げる第一歩」であったとしている。

彼女の考察の大きな特徴の一つは、女性小像に、四肢が表現されていない理由を扱っていることである。
その他の民族学的、歴史学的研究結果、例えば、ブードゥー教に使われる人形のような、特定の人間の擬人化された小像とその結果現れる力との間の一般的な関連性などについては、漠然と記述されている。
レヴィは、旧石器時代の彫刻で、小像の顔、手、脚を重要視しないのは、魔術的な危険を恐れたためだといっている。
概して、彼女の文献では、考古学的な立証がないままで、女性小像は地母神を表しているとみなしている。


* Alexander Marchack アレキサンダー・マルシャック

Alexander Marchackアレキサンダー・マルシャックは、最初の著書である、The Roots of Civilization(この著書では、氷河期の狩猟者たちの工芸品、絵画そしてスケッチなどから、思想の起源、記号の表記法や言語の発達が、従来、科学者たちが推測していたよりもずっと早く発生したことを示している)において、彼の"time-factored symbolism"論を展開している。

彼は、従来の繁殖の儀式論はあまりに単純化されすぎているとし、そのほかの従来の説も、人間の行為やその結果の特殊な、且つ、物語的な面のみを取り上げたものにしか過ぎないとしている。

彼は、後期旧石器時代の人たちの頭脳的な能力は今日の人間と変わらないと考えていて、それ故に、我々の祖先は、我々と「同じレベルの認識と比較検討、同じような物語で名高い平均化、話の一貫性・統一性と一体性・統一に対しても、又、女性の機能や主要な行為・作業に関する話の参画−成熟期、月経期、性交、妊婦、出産、授乳などを含み−についても同様な努力・成果を示した」と見なすべきだとする。

こういった筋書きと象徴化された"time-factored process and sequence"は、擬人化されたもしくは、人間化された性質をもち、名前と人格を持つ、女性に係わるものだとし、又、彼は、彫刻で作られた女性の小像を、そうした、何らかの名前をもつ人格の中の一つの例と考えるべきだと考えている。

こういった物語で名高い過程に参画する努力が払われたので、「宗教的な、神聖な」と呼ぶことが出来るような行動の様式・習慣が生れた。

女神は、大自然の物語を解き明かし、それを一つにまとめるために使われるものとして創られ、又、女性の段階、即ち、成熟、胸乳の発達、陰毛の発毛、最初の月経、そして、連続的、且つ、周期的な女性の個性や性質の変化、即ち、交配できるようになり、妊婦になり、然しいつも出産に成功するわけではないが、授乳または乳を与える、幼児の世話、そして最終的には老人となる、、各段階をも表しているとする。

マルシャックは、女性の小像の特質を、このような過程のそれぞれ違った象徴であると常に考えていて、それがゆえに、こういった小像は、女神像の理解とその崇拝に役立ったものと結論付けた。

マルシャックのもっと新しい著書では、他の研究者の研究内容を取り入れ、又、その時々の社会情勢の影響も受けている。彼は、自説のtime-factored symbol theoryは捨てていないものの、女性小像をある種の女神像とする見方は、更に、強固なものとなった。
彼は、こうした像は、その時代、その文化、そしてその社会の単なる象徴であるという考えを強固に主張するが、彼の説の一面は、後に、「Art for Art'Sake:芸術のための芸術」説へと展開する。

マルシャックにとって、女性のイメージは、多様な範囲の意味を持つものであり、潜在的可能性を包含する象徴であった。
女性小像は、おのおの、今、我々がをそうである以上に、明確に、豊かに、そして、念入りに、女性肖像が作られた時の文化とその時代を憶測できるものであり、彼女の文化とその時代の意味をまとっている。
女性小像は、彼女の時代の文化を身に着けている。
女性小像は、要するに、参考文献の詰まった図書館のようなものであり、様々な価値をもつ、多目的なシンボルである。

こうした、この女性小像は、一つの意味だけではなく、それをはるかに超えるシンボルであるとする発想は、その後、新しい解釈をする上での一つの主要な柱となった。
一つ以上のシンボルとみること、並びに、女性小像を多目的のものとするという見方は、マルシャックに続く研究者に取り入れられていったものの、彼等は、このアイディアをそれぞれ異なった形で使っている。女神論から抜け出そうとする研究者は、マルシャックのアイデアを、その導入部とか根拠に使い、一方、女神論を取る研究者は、マルシャックのアイデアをそのまま彼等の理論の中にとり入れ、旧石器時代の女神そのものは、多目的で、多様な意味を持つものとしている。

このようにいろんなアイデアが多層化した例は、Richard RudgleyとMarji Gimbutasの著書に見られる。

Rudgley
は、「女性の身体は、旧石器時代に、極めて多くの関心集めたものであったことは明らかだろう」と述べている。その後、彼は「女性の身体は、宇宙論的な意義・意味のシンボルである」とも述べ、修辞学的に、「もし、女性の身体が、古い石器時代において、最も、普遍的で、且つ、精緻なイメージの一つであり、そして、様々な自然の力や文化の色んな面のシンボルであったなら、女性小像は、女神の旧石器時代の崇拝の様子を具体的に具現化したと信られるしるしから本当に、遠くはなれたものであろうか?(いやそうではあるまい)。

* Marja Gimbutuas マリヤ・ギンブタス

この彼の疑問は、1980年代に書かれたマリヤ・ギンブタスのを思い起こさせる。そこで、彼女は、「欧州の初期の農耕社会は互いに共存し、最高女神の崇拝しつつ、自然ともごく平和的に共存していた」と結論している。
彼女によれば、「古い欧州の宗教生活は女神への信仰が中心となっている−その信仰は、いろいろな形をとる、大地は、女神の化身であり、死は、大地・女神の子宮への帰還とみなされる」などである。

彼女の研究の多くは、新石器時代の遺品に関するものではあるが、旧石器時代のビーナスを新石器時代の最高女神の
前身だとと主張している。他の研究者たちも、旧石器時代と新石器時代の女性像の関連性について論じている。

Jaquetta Hawkes

Jacquetta Hawkesは、彼女の著書の中で、「二つの時代の関係について云えば、旧石器時代の女性の小像は、「新石器時代にユーラシヤ大陸に住んでいた農耕民族の母神、もしくは、大地女神きわめて良く似ており、その原型と言っても良いほどである」と述べている。女性の研究者は、皆こういった説に飛びついていて、旧石器時代の女神についてのいろいろな説を唱えている。

女性小像の男女同権論研究者の見方を正当化しようとする動きは、1970年代から1990年初頭に刊行された多くの「女神論」本に見られる。例えば、1981年−Carmody,1987年−Sjoo & Mor,1987年−Stone,1991年−Baring & Cashford,1999年−Markale。

これらの本の多くは、必ずしも、考古学的、或いは、先史学的教養がある女性によってかかれたものではないが、1980年代の男性の女性に対する数々の偏見に対する闘争以外にも、彼女たち自身をあらわに出している。


これらの本は、しばしば、宇宙論とか神話学、そして、占星学などを織り交ぜ、超自然的な、科学的研究結果を無視した、考古学上の事実をゆがめたものにと、それて行く。
彼女たちの女性小像に対する解釈では、先史時代の女性は、その雌である事や子供を生産できる能力があることから、服従する男性に、ある種の超人として尊敬される存在となったとされている。


*Pamela Russell パメラ・ラッセル

は、こういった、女性同権主義者の文献では、最高神である女性が、男によって、男の目的だけのために、男性神に置き換えられ、女性は単に、男性神の妻か同伴者に貶められたとする考えに基づいているという。
彼女たちのこういった解釈は、「女性同権主義者である著者達が最初の宗教は女性の神格化にあった」とする仮定に基づいている(Farrar & Farrar1987年、Stone 1976年、Baring & Cashford 1999年、Carmody 1981年、Sjoo & Mor1987年)。
又、女性に対する崇拝が起こった理由は、古代の人類には、性や生殖に対する知識がなかったためだとする。

例えば、ある文献では、下記のような記述がある。

「絶対に正しいとはいえないまでも、人間は最初の頃には、男性の生殖に対する役割に気づいていおらず、性交と出産の関係の因果関係について知らなかったであろうと云えるのではないかと思う。而して、女性に対する彼等、旧石器時代の男性の態度は、明らかに、女性は、男性より弱いものであるが、然し、生命を誕生させる不思議な力を持つ、よくわからないものであった(心からの敬意、尊敬まで至らなくとも、不可解な面を持つ恐怖心を抱かせるもの−魔法とか何か神のような、そして、力として、女性を見ていた)。
Lespugueタイプの女性小像の一つである「Venus of callipyges」は、この主張の決定的な根拠である、
何故ならば、このような彫刻において、神聖な母親の力が明らかに示され、このような力は、神性に係わる原始からの人間性であり、女性という性質そのものであると考えられるからである。」


そのほかの、所謂、「女神本」は、多くの女性小像は、「母親の様相を示し、まるで、すべての像は、誕生の神秘に焦点を合わせている」かのようである。女性の小像は、自然に存在するものを表したものではなく、生命の神秘そのものを表現して居るように見える、何故なら、女性の身体の神秘は、即ち、生命の誕生の神秘であり、自然のすべての中で明確なものになるような不確定の神秘でもある。
誕生をめぐる神秘は、女性を定義するための明確な意義として、又、強力な女神の無数の心象の究極の創造物として、引き合いに出されている。


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