土偶との遭遇

ユーラシア大陸の旧石器時代・後期の女性小像
Female Figurines of the Upper Paleolithic

Siberian Group シベリア・グループとしてまとめられるもの  その1
Mal’ta, Bouret’

北並びに東アジアにおいて、最近になって多くの発掘調査が行われてきてはいるものの、この地域の先史時代の状況はまだまだ明らかになっていない。

ほんの二三のキーとなる遺跡が旧石器時代のものとされている。即ち、Mal'taとBouret’である。


この二つの遺跡は、シベリアのバイカル湖の近くのAngra River Vallyにあり、南の方から移住してきた大物狩の狩猟者が住み着いたものである。

彼等は、この地で厳しい気候と長く乾燥した冬の直面した。西暦紀元前20,000年前に、Mal’taの文化様式が北東アジア及びシベリアで出来た。Mal’ta様式は、バイカル湖の西やYenisey川の多くの遺跡に見出されるが、約21,000年前にあったMal’ta遺跡の名前にちなんで名付けられている。

この遺跡には、大きな動物の骨/トナカイの枝角を使った地下の住居があり、この住居は、過酷な気候に耐えられるように動物の皮や芝土で覆われていたと考えられている。


Mal’taで一般的に発見される彫刻は、骨や象牙や枝角を彫って作られた鳥や人間の女性である。
一般に、この地域で発見される女性の小像は、地理的に隔離されたためか、今まで紹介してきたような小像とは様式上非常に違ったものであり、旧石器時代に作られた、所謂、ビーナス小像の典型的な特徴を全く離れたものである。例えば、ほとんどのビーナスと呼ばれる小像が、全裸か半裸であるのに対して、Mal'taの小像は、ほとんど着衣状態であり、造作のない顔が、圧倒的に多いのに対して、鼻、眼、口、そして、髪の毛などが、きれいに彫刻された顔を持っている。

シベリヤ起源のビーナスに対する英語で書かれた文献はほとんどないのが現状であるので、ここでは、二体の小像しか取り上げない。


* Mal’ta Venus (下左)

Mal'taのビーナスと呼ばれるものは、約西暦紀元前21,000年のもので、この地域のごく一般的な材料であるマンモスの象牙が使われており、その頭も含めて、衣服で覆われたように表現されている。

フードの中の顔は、平らな鼻、深くくぼんだ眼と口を持っている。この小像は、フードを持った外衣を身に着けているように見えるにもかかわらず、下腹部が誇張されており、薄い胸が浮き彫りにされている。
尻は持ち上がっており、背後で大きくなっているが、脚は細く、膝の下は先細りになっている。

                   

Mal'taは、Bouret’より大きい遺跡ではあるが、その間の距離は、わずか徒歩で2時間であり、研究者は、この二つの遺跡は、実際は、一つの集団に属する人々のものであったろうと推測している。現在までのところ、Mal'taが主たる居住地であり、Bouret’は、冬に川が氷結したときのための野営地に過ぎなかったのではないかと考えられている。


*Bouret’ Venus (上右)

Bouret’で発掘された小像は、Mal’taのものと極めて良く似ている。

一般に、Bouret’のビーナスと呼ばれるものは、象牙で作られており、胴体全体に刻み目模様が付いているが、これは衣服の装飾品を表したものと考えられている。

この小像も、フードのしたの顔の造作は、写実的に作られている。この小像は、乳房が表現されていないので、その性は曖昧であるが、下腹部と膣の表現から女性であると想像される。

脚は下に向かって先細りになって、一つになっているが、Mal’taのビーナスと対照的なのは、胴体に添って腕が表現されてることである。



これらのシベリヤの工芸品の最近の研究から、この地域からアメリカ大陸への人類の移動との関係が注目されている。
研究者は、シベリヤの旧石器時代の道具類、その技術、そして様式と北米大陸のそれとの関係を指摘する。

Absolonは、旧石器時代の彫刻よりも、エスキモーの先史時代の彫刻の方がより類似性があるとしている。

こういった小像は、欧州で見られるものと地理的にも様式的にも、関連性がない。
これにもかかわらず、研究者は、Kostinki−Avdeevo文化との関連性を、衣服や装飾品の表現の面で、見つける道を探っている。

Mal'ta (ca. 20,000 B.C.) The Metropolitan Musum of Art

The site of Mal'ta, for which the culture is named, is composed of a series of subterranean houses made of large animal bones and reindeer antler.

The vast territory of North and Central Asia represents a poorly understood region in the prehistoric era, despite intensive excavations that have been conducted during the past century. The earliest human occupation in this region probably began sometime around 40,000 years ago. Small groups of big-game hunters likely migrated into this region from lands to the south and southwest, confronting a harsh climate and long, dry winters. By about 20,000 B.C., two principal cultural traditions had developed in Siberia and northeastern Asia: the Mal'ta and the Afontova Gora-Oshurkovo.
The Mal'ta tradition is known from a vast area spanning west of Lake Baikal and the Yenisey River. The site of Mal'ta, for which the culture is named, is composed of a series of subterranean houses made of large animal bones and reindeer antler which had likely been covered with animal skins and sod to protect inhabitants from the severe, prevailing northerly winds. Among the artistic accomplishments evident at Mal'ta are remains of expertly carved bone, ivory, and antler objects. Figurines of birds and human females are the most commonly found items.
Paleolithic art of Europe and Asia falls into two broad categories: mural art and portable art. Mural art is concentrated in southwest France, Spain, and northern Italy. The tradition of portable art, predominantly carvings in ivory and antler, spans the distance across western Europe into North and Central Asia. It is suggested that the broad territory in which the tradition of carving and imagery is shared is evidence of cultural contact and common religious beliefs. Some of the most well known examples are the so-called Venus figurines. One such figurine, illustrated here, is from the site of Mal'ta and dates to around 21,000 B.C. It is carved from the ivory of a mammoth, an extinct type of elephant highly prized in hunting that migrated in herds across the Ice Age tundra of Europe and Asia. Like most Paleolithic figurine carving, the image is carved in the round in a highly stylized manner. Typically, there are exaggerated characteristics such as breasts and buttocks, which may have been symbols of fertility.


* カレン・ダイアン・ジャネットの解釈

この報文の著者である、カレン・ダイアン・ジャネットが、検討したところ、これまで紹介してきた報文・グループの間に、著しい類似性があることが判った。基本的には、報文の公表の時期によって、多くの著者やその考え方を三つのグループに括り分けることが出来る。

関連性の多くは、歴史的な、或いは、社会政治的な根拠の共通性に基づいて、三分割できるとはいうものの、それでもなお、かなりの重複が存在する。



第一のグループは、小像の多くの発見者による、最も初期の説である。

このグループの説は、1890年代から20世紀初期に出されたもので、もっぱら、男性によって、又、男性のために書かれたものである。したがって、どうしても、人種上の固定概念や男女の役割を強調する傾向がある。


第二のグループは、第一グループに属する19世紀の人種差別主義者や性差別主義者の説に対抗するもので、これは、その当時、段々と増加してきた女性研究者の反応が含まれているのが特徴である。

旧石器時代の文化は、男性優位なものであるという解釈に対する、男女同権論者の激しい対抗意識が、小像の創造や用途にたいして、女性が重要な役割をもつとする新しい視点での諸説を主張することとなった。
この様な理論の人気が高まると共に、この説に基づいた書籍が発行され、これによって、疑似科学的な女神論が氾濫した。


第三のグループは、最も最近の諸説であり、これらは、今まで発表された重複する多くの諸説を取り入れて展開しているが、これまでの説の偽りの部分や疑似科学的なところを正して、科学的に正確であろうとし、一般化しすぎると云われないように極めて、限定された範囲について論じている。


引き続き、この三つのグループの報文について、紹介する事とする。






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