土偶との遭遇

ユーラシア大陸の旧石器時代・後期の女性小像
Female Figurines of the Upper Paleolithic


Russian Group ロシアグループとしてまとめられるもの  その1



このグループに属するものは、南西ロシアの一部やウクライナの黒海の近傍の地域から出土したものである。
この地域のサイトは、−ライン・ダニューブの出土品の多くが示したような、ひとつの文化の下位範疇であるというに十分な−互いに、異常なほどの類似性を示す。

この様な文化の関連性のアイディアが芽生える発端となったのは、ある粘土で出来た頭像の破片である。

New Avdeevoで発掘されたこの破片は、首の部分で折れており、顔の前面がなくなっているので、男女の区別が付かないものである。
頭にある連続した同心円状の水平の帯の装飾は、ウイレンドルフのビーナスVenus of Willendorfのものとほとんど同じである。

これらの様式上の関連性から生れた法則化された、この考古学上の文化は、Kostienki−Willendorf文化と呼ばれることもあるが、もっと厳密に考えると、Kostienki−Avdeevo文化と考えるべきであろう。

Kosteenki−Avdeevo文化の古典的な定義は、ロシアのKosteinki、Avdeevo,Zaraysk,そしてGagarinoの露天遺跡からの出土物から来たものである。
これらの後期旧石器時代の遺跡からは、石作りと骨を加工した道具や石や骨の彫刻、並びに大きなマンモスの骨を利用した住居などが発見されている。

Kostienki−Avdeevo文化の小像には、多くの類似性が認められるものの、女性の像に関する限り様々なものがある。

成人女性の種々の段階−妊婦でないものから、いろんな段階の妊娠中のもの−の像が多いが、然し、この地域に独特なものとしては、妊娠した女性の最初の段階と最終段階の像があることである。例えば、Avdeevo出土の子供を生んでいるしゃがんだポーズの像、Kostienki出土の分娩後の像などである。

Kostienki−Avdeevo地域から出土する女性の小像は、その出土数の多さ、その他と違う形、そして、その分布状態などから、研究者にこれらは一つの文化から派生したものではないかとの解釈をさせることになった。

Kostienkiの遺跡群は、黒海の丁度東に当たり、ドン川の右岸の地域で、Kostienki村とBorshevo村の近所にあり、20を超える遺跡がある。この地域には、積層した遺跡があるので、場所をアラビア数字で、遺跡層をローマ数字で表すことになっている。例えば、「Kostienki 12/III」のように。

文字通り、数ダースの小像がこれらの遺跡群から発掘されていて、互いに著しい類似性を示しているのは、欧州の他の地域に見られるのと同様である。

この地域の小像の一つの重要な要素は、欧州のその他の地域の多くの小像に比べて、完全な裸のものが少ないことである。
Kostienkiサイトから発見された小像の多くは、様々な衣服を表す模様をつけている。
小像につけられた、こうした衣服の表現から、旧石器時代の人々が、もっと後になってから習得されたと考えていた、植物性の繊維を布や縄や袋に編みこむような革命的な技術をすでに習得していたのではないかと考えが生れてくる。

1988年に、少し大きい(13.5cm)の石灰石の小像が、同じく、Kosteinkiで発掘された。この小像は、きわめて目立つへそがあり、まるで、手錠のようにみえる腕輪を両手にはめていた。

   



もう一つの石灰石の、10.2cm高さの小像は、23,000年から21,000年前のもので、よく知られていないタイプの衣服を着けている。この比較的完全な小像は、大きな乳房と腹部、そして、造作のない顔を持ち、胃の上に手を置いた形で、腕は胴体に密着している。頭には、小さな切込みの列があり、髪形もしくは帽子を表しているものと思われる。又、乳房の装飾をつけ、腕には腕輪をつけている。腹の上に置かれた手の表現は細かい。

      


Kostirnkiからは、もう一つ、11.4cm高さのマンモスの牙で出来た女性の裸像が出ている。

頭は、歯並びの様な模様がつけられ、頭飾りか髪の毛を表している。
腰や背面には、彫りこんで浮き彫りにされた線が見られるが、何を表すのかは判らない。
この小像は、1936年にP.P.Efimenkoにより発掘され、彼は、「現在知られているものの中でこの時期のものとしては最高のものだ」と言っている。
この地域の小像が、帯や腕飾りをつけているものが多いのに対して、完全に裸である。


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