土偶との遭遇

ユーラシア大陸の旧石器時代・後期の女性小像
Female Figurines of the Upper Paleolithic


Rhine-Danube Group ライン−ダニューブグループとしてまとめられるもの  その3



*Ostrava Venus  オストラバのビーナス

黒色の赤鉄鉱の鉱石から造られたわずか5cm高さの小型の女性の胴体の像で、オストラヴァのビーナスと呼ばれるものは、チェコ共和国のモラヴィアは、オストラヴァ−ぺトルコヴィスにあるグラヴェット文化Gravettian期の遺跡から、1953年に、考古学者のBohuslv Klimaにより、発掘された。

この像は、若い妊婦で、胃の部分はふくらみ、小さな然し若々しい乳房と明確に彫られた外陰部を持つ、極めて具象的なものである。

この像は、時折、とてつもなく現代的なものと見られることがある。というのも、下腹部が、現代的なビキニを着用したように見えるからである。

ある人は、この像が、細く、且つ、妊婦に見えないことから、多産の女神的なものではないと見ている。

the South Bondi Venusに、似ているとする人もいる。

Archaeological Institute of Brno, South Moravia蔵



このラインーダニューブグループには、これらのほかにも、何ダースもの小像が出土しており、激しい議論の的になっている。これらは、女性、男性、或いは、神話に現れるような像である。



*Brunoの二体の男性小像

このグループに属する少なくとも二体の男性小像が良く知られている。

Dolni Vestoniceの近傍のBrnoから出土したもので、明らかに男性性器を持った象牙製像と 下の太い眉の隆起を持った男の象牙製像である。この二つは、この時代の典型的な男性像であると思われる。なお、残る小像は、どう見ても、曖昧模糊としたものにしか見えない。


*男性性器を持った象牙製像 Bruno Marionette

約26,000年前の遺物である。

頭と胴体、そして、左腕が、Dolni Vestoniceの近傍にあるBrunoの後期旧石器時代の墓所から出土した。

写真で見られるように、胴体の下部には、正しくつりあいの取れたサイズの男根の残りが残存する。

Vienna Natural History Museun蔵。






*マンモスの象牙製の男性頭部像 Bruger

1891年、発見。太い眉の隆起を持った男の象牙像である。

この8cmの高さの小像は、26,000年前のものでマンモスの象牙で作られているが、その写真は、1988年10月のナショナル・ジオグラフィック・マガジンに掲載された。

そして、Jean Auelが書いた、The Plain of Passageは、1990年に刊行されているので、この像のイメージを、その著書の中のDolini Vestoniceに住むBruger−二重人格の男−のモデルにしたのではないかと考えられる。

この像は、極めて大きい眉の隆起を持っている。最初、あごひげがあるように報告されたが、この写真を見る限り、そのようなものはない。

Paul Bahnは、Journay through the Ice Ageの中で、出所不明であることとそのスタイルがあまりに現代的であることを根拠に、この小像は偽物であるといっている。最も、彼は、Lady of Brassempouyも偽物だとしている。


                

マンモスの象牙製の男性頭部像 Brugerについて: 年代測定の経緯、26000年前のもの

     By Alexander Marshack, The National Geographic Magagine, Oct. 1988


アレキサンダー・マルシャックは、ハーバード大学ピーボディ美術館の旧石器時代考古学の教授である。

オーストリア在住の匿名のチェッコの家族が、この男性の頭像をニューヨークのマルシャックの元にもってきた。

この胸像は、1890年代にDolni Vestoniceの近くの遺跡で発見されたと言っているが、この村は、1920年代に始まった探査で、考古学者が氷河期の工芸品を見つけたところである。現在も続けられている調査の責任者は、Bohuslav Klima博士である。

Klima博士は、先史時代の遺跡の著名な研究者で、Bruno大学の歴史科の助教授でもある。彼は、中央ヨーロッパの後期旧石器時代の権威で、Brnoにあるチェコスロバキヤ科学アカデミーの所長でもある。

Dolni Vestoniceで発掘された、もう一つの人間の頭の像は、目を示すへこみや眼球、そして、瞼が写実的に表され、且つ、髷をもつもので、26000年代の女性を表したものである。象牙の層が、まるで、たまねぎの層のように、剥げて取れ、でこぼこの表面になっているので、まるで、造りかけのように見えた。
後に、アレキサンダー・マルシャックが、この頭の像を再調査し、綺麗にしたところ、それ以前には気づかれなかった彫りこんだ鼻孔をもつことがわかった。これは、Brugerとなずけられた、この男性の頭像と良く似ていた。これは偶然の一致であろうか、それとも、氷河期固有の特徴であろうか?

アレキサンダー・マルシャックによる最初の顕微鏡でも観察で、この男性の頭像は、5−6個に、割れていたものを接着復元し、更に、保護のための塗膜で覆われていることがわかった。
彼は、所有者に、このものが、一時は骨を保護するのに良く使われた、horse glue(膠、動物の骨・皮・角・ひづめなどを煮詰めて作る)膠に浸されていると話した。

又、この象牙製の像は、明らかに、石器で削られいた。多くの溝が彫られており、線が曲がるところで形状が変わっていいる。鋼の刃では、この様な模様はつけられない。

幾つかの溝は、砂や鉱物で埋まっており、明らかに年月を経たものと思われる。同じように鉱物で埋まっている自然の割れ目が、彫られた線を横切っており、この小像が作られた後に風化が起こったようである。

底部は、おおよそ肩の部分で、あたかも、水平にのこぎりで切られたようになっている。
Marshackは、Dolni Vestoniceの遺物の中に、鋭い刃の石器を見たことがあり、こういったものに柄をつければ、象牙を引き切る出来ると考えている。

鼻孔と目は、特別な問題を提起する。
これらは、綺麗にされた後に、再度、彫りなおされ、更に、蝋を塗られたように見える。

隆起している眉の部分の様子は、1891年にチェコスロバキアのBrnoで発掘された骸骨に良く似ている。

ピ−ボディ博物館による、X線回折分析では、酸化鉄(これは、この頭像が赤褐色をしている原因)とフッ素リン灰石(象牙と鉱物質が土の中で入れ替わった)が認められた。この事実は、長い間地面の中に埋まっていたことを示唆する。

大英博物館は、この頭像を、以前に一度鑑定しようとした。1940年代後半、大英博物館は、更に、厳密な検討をしようとしたが、所有者がオーストリアに帰るときに返却せざるをえなかった。
この時、大英博物館が保存剤の代わりに蝋を目に詰めた可能性がある。
大英博物館の専門家は、アレキサンダー・マルシャックに、絶対にと言うわけではないが、象牙に起こる複雑な変化を偽造することは困難であると語った。

この象牙の小像の時代認定をするのは必要であるが、もっと重要なことは、像そのものの保存であろう。

C14年代測定を使用することは適当でない。この測定には、小像の一部を使用せざるをえないからである。
そこで、アレキサンダー・マルシャックは、カンサス宇宙技術センター大学・放射線物理研究室のエドワード・ゼラー博士に相談した。博士は、alpha-particle spectral analysisが年代測定に有効であろうと示唆した。

破片を調べたエドワード・ゼラー博士は、先ず最初に、ウラニュムの含量が異常に多いのに気が付いた。
ウラニュウムは、ウラニュウムをいくらかでも含んだ地下水があるところに存在した場合にのみ、象牙の中に入り込む可能性がある。
もっと驚くべきことは、ラジュウムとウラン崩壊物のの含有量が高かったことである。

エドワード・ゼラー博士が検査をしているときに、マルシャックはチェコスロバキヤに行く途中で、イタリアの学会に立ち寄った。彼は、Dolni Vestoniceの土壌の状態を知りたくて、Klima博士と話し合った。

彼は、第二次大戦後に貴重な資源となったウラニュウムがBrnoの北西の高地に埋蔵されていたことを知った。
この高地に降った雨水は、当該頭像が発見されたと言っている低地に、容易に達したであろう。

Klimaは、「我々は、Dolni VestonicやBrnoから、非常に多くの種類の遺物を発掘しているので、そこから、最古の男性像が出たと言ってもなんら驚くものではない」と言っている。

カンサスでは、ゼラー博士と彼の助手のウエイクフィールド・ドート・ジュヌア博士(プリンストーン大学の地理学者)が髪の部分の小片をテストしていた。
彼等は、その小片をalpha-particle spectral analysisで、72時間テストした。
この結果、象牙像の表面は、26000年前のものであることが判った。

科学者が推定する氷河期の一幕は、次のようなものである。

一匹のマンモスが死んだ後、誰かがその牙を彫刻した。
その彫刻は、砂や地面に埋まり、その地面は、地下水起源のウラニュウム、酸化鉄、フッ化物に汚染されていた。象牙の燐酸カルシュームが、鉱物質、特にウラニュームを吸収した。同時に、放射同位元素の崩壊が始まり、現在、何千年と測定できるレベルの副生物を残した。

もし、この頭像が、この数世紀の間に彫られたものであれば、分解生成物は表面から除かれてしまっているであろう。
エバン・マダム・キューリーは、うそを言わなかったとゼラー博士は語った。ゼラー博士とドート博士は、この頭像が古代のものであることを確信している。

然し、まだ年代が必ずしも、確定されたわけではない。


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