土偶との遭遇

ユーラシア大陸の旧石器時代・後期の女性小像
Female Figurines of the Upper Paleolithic
その一

Karen Diane Jennett
Texas State University-San Marcos,University College,University Honors Proguam

Abstract,Introduction
Pyrenees-Aquitaine Group ピレネー山脈−アキテーヌ盆地 グループ

Abstract 摘要

旧石器時代後期の文化に見られる人類のしかも女性の人形(小像)は、一般に、「Venus Figurines:ビーナスの小像」と呼ばれ、極めて多種多様な芸術品である。
こうした小像は、ユーラシア大陸のフランスからシベリアにいたる各地で、数百体が発見され、中には、西暦紀元前25000年前にさかのぼるものもある。
このビーナスの小像の多くは、小さな石を刻んで造った裸の女性像で、肉感的なものか、若しくは、顔や手足の表現がない妊婦をあらわしたような特徴を持っている。然し、あるものは、この定型から外れた、極端に違う特徴を持つものも発見されている。こうした著しい多様性は、これらの像が作られた、その目的を反映しているのであろう。19世紀後半まで、こうしたビーナスたちの意味とその目的について、様々な説が唱えられたが、あるものは、自分の時代の通念によって解釈した偏見に過ぎず、あるものは、宗教的な象徴としたが、総じて、詳細な技術的な分析によって立つ狭い科学的な視点しか持たなかった。
過去の仮説は、この小像それ自身の多様性というものに焦点を当てた解釈になっていない。



Introduction 緒言

ユーラシア大陸の各地から、後期旧石器時代文化、フランスのピレネー山脈地方からシベリアのバイカル湖まで拡がった、特に、Gravettian グラヴェット文化期の、遺跡から、旧石器人の職人たちの造った人間を模した像が何百と発掘されている。この極めて異質というべき工芸品は、19世紀の後期に、始めて、最初の幾つかが発掘されてから常に考古学上の論争の種となってきた。

遺物が発見された地域に加えて、個々の工芸品は、その高さが、40cmから3cmと非常に大きな幅を持っている。
持ち運びの出来るサイズのものから置物としての人形まで、用途にあわせて、材料が選ばれているし、女性を写したものだけでなく男性のものもあり、擬人化されたものや男女同体のものも造られていた。
女性の人形は、思春期以前の幼い少女から妊娠の各段階にある既婚婦人、更にはもっと年取った更年期の婦人など、女の人生のあらゆる段階のものがある。

こうした多様性については、今までの報文では、あまり、取り上げられなかった。
過去の報文は、一つ一つのものを単独で取り上げ、その起源や意味について精密に検討されたものが大半である。
一般に、然し、誤解を招きやすい表現である「ビーナス人形」として知られる女性の人形は、最後の氷河期の間に造られた初期の人間芸術の中でごく一部を占めているに過ぎない。

初期の頃の発見は、多くのアマチュア考古学愛好家によって行われたものであり、これらの人形があらわしている意味について議論が白熱した。
然し、発見された人形の基本的な情報は、明確なものでないことが多かった。
と、云うのも、ほとんどのものが、地質学上の層序構造や空間的な出所の記述法が標準化される前に発掘されてしまったからである。
近年、しかしながら、新しく開発された分析的な年代特定法により、より厳密に特定できるようになってきた。

考古学者は、今、個々の人形の発掘記録などを見直す作業を、発掘された場所、原材料、加工法、形態学的な外観、そして、様式などの関連させながら、進めている。そして、これらの人形を単一の均質な現象として扱うのではなく、それぞれ別々の存在として扱うことにより、新しい解釈が生れつつある。

この報文で対象としている期間は、最終氷河期、更新「こうしん」世(約258万年前から12,000年前までの、新生代(the Cenozoic)第四紀(the Quaternary)の第1期、または新生代の通算で第6期にあたる時代。氷期と間氷期が繰り返し起こった氷河期で、ゲラシア期(Gelasian)、 カラブリア期(Calabrian)、イオニア期(Ionian)、タランチア期(Tarantian)の4期に分かれる。)である。
この期間は、又、石器時代とか旧石器時代(およそ250万年前から、中石器時代(Mesolithic)が始まるおよそ2万年前までの、打製石器(chipped-stone tool)を道具として使っていた時代)としても知られており、さらに、前期、中期、後期の三世代に別れ、前期と中期は、それぞれ、アシュール文化Acheulean、ムスティエ文化Mousterian tool industries(旧石器時代中期、ヨーロッパ、北アフリカ、中東に住んだネアンデルタール人の文化で、固いフリント石の薄片を使ったフリント石器を特徴とする)に分れている。

更に、ここで取り上げる人形=小像は、後期旧石器時代、即ち、30000年から10000年前のものであり、この期間は、更に、互いに重複した五つの年代に分けられる。
シャテルペロン文化(カステルペロニアン文化、カステルペロン文化とも)Chatelperronian、オーリニャック文化Aurignacian(フランス・ピレネー地方を中心とする地域の旧石器時代後期に属する一文化。ヨーロッパにおいて更新世の最後の氷河期である第4氷期の第1亜間氷期から第2亜間氷期まで続いていた)、グラヴェット文化Gravettian、ソリュートレ文化Solutrean、Magdalenianである。

これらの時代は、それぞれ、独特の道具の様式により特徴つけられるが、この報文では、そういったことには言及しない。
なぜなら、大半の彫像は、グラヴェット文化Gravettian期のものであり、それに比較して他の時代のものの数が少ないからである。

旧石器時代後期の遺物の主要なものは道具とそして生活必需品からなっている。
そして、これらの人形=小像こそが、我々が、現代的な定義で、芸術品と呼べる最初のものである。

氷河期における芸術品の中には洞窟絵画や岸壁の彫刻から持ち運び出来るサイズの彫刻作品からこの人形=小像や装飾された道具類、衣服類がある。

我々が芸術と呼べるような工芸品は、もっぱら、欧州からアジアにかけてのグラヴェット文化圏Gravettian industryと マグダレネアン文化圏Magdalenian industryから出土する。最も初期の工芸品は、明らかに動物と認識されるものであるが、中には、人間の像、多くは女性の像も混じっている。

多くのこうした工芸品の正確な性−或いは、生き物−がなんであるかが、いまなお疑問である状態なので、この報文で取り上げるものは、一般的に使われている単語で「Venus Figurines-ビーナス小像」と呼ばれているもののうち、研究者の誰もが、女性の像であると、ある程度まで認めている、或いは、合意に達しているものに限定する。

1890年代から、こうした女性の小像が数百体も発見されているが、決して、全く同じなもの、重要な点で形態的に類似性を有するものは一体もなく、−−−

この報文の目的からして、オーリニャック文化Aurignacian(フランス・ピレネー地方を中心とする地域の旧石器時代後期に属する一文化。ヨーロッパにおいて更新世の最後の氷河期である第4氷期の第1亜間氷期から第2亜間氷期まで続いていた)に起因する抽象的な像−一般に、vulvacと呼ばれ、引き伸ばした”S"の字、或いは、ひっくり返した”P"の字のようなもの−については取り上げず、又、元々どのようなものであったかわかりにくいような数多くの破片についても言及しない。

ここで、「Venus Figurines-ビーナス小像」とするのは、ほとんど確実に女性の像と区別されるものである。

Marcia-Anne Dobresによれば、−−−


The Figurines 小像について

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この報文では、Henry Delporteによって、1993年に立案されたもっとも異論の少ないリストに従って、小像の分類を行う。

Henry Delporteのリストでは、発見地により分類している。

この分類法は、勿論、そうした地域が文化の交流があったのではないかとか、或いは、携帯タイプか置物形か、体形によって分類した方が良いとか、材料や年代によった分類がよいのではないかといった異論がある。
こうしたどの分類方法もこうした小像について議論するときには採用できようが、然し、この報文で採用する「地域による分類法」が最も、普遍的で簡単なシステムと考える。以下これに従って、分類し、解説する。



Pyrenees-Aquitaine Group ピレネー山脈−アキテーヌ盆地 グループ

このグループは、ピレネー山脈の山麓に沿ったフランス南西地方で発見された遺物を含む。
フランスは、南西欧州のなかでもグラヴェット文化Gravettianの埋蔵物の多い地域であるし、又、最初の小像がここで発見されたことでも有名である。このグループに属する小像は、極めて有名であり他のグループのものに比べて、よりよく研究されている。

この地域は、最終氷河期には、より人口密度が高かったと思われ、又、洞窟絵画が豊富であることでも良く知られている。

多分、フランスで最もと言うより、欧州で最も、よく知られた旧石器時代の遺跡は、ピレネー山脈の北の山麓とマッシフサントラル山地(フランス中南部の山地、セベンヌ山地(the Cevennes)とオーベルニュ山地(the Auvergne Mountains)が含まれる)の南の端に沿って、点在する多くの石灰石の自然洞窟や岩穴の一つであるLascauxラスコーであろう。
ラスコーの洞窟は、雄牛や馬そして雄鹿を描いた彩色画で有名である。この彩色画は、15000年前のもので、ここに検討する小像の年齢の22000年前と比べれば、かなり年代の若いものである。


* the immodest Venus

さて、最初に発見された女性の人形は、「the immodest Venus ふしだらなビーナス」として知られるもので、発見者は、Marquis de Vibrayeである。(Fig.4)彼は、この7.7cm高さの小像を思春期の少女と解釈した。

         


*Venus of Brassempouy ブラッサンブイのビーナス

それから30年後、フランスのBrassempouyブラサンブイで考古学者の古学者のEdouard Pietteが小さな象牙の女性の頭の像を発掘した。(Fig.5)

この像は、3.65cm高さで、マンモスの牙で作られており、西暦紀元前約22000年前のものである。

彼はこれを、the hooded womanとなずけたが、又、別名を、Venus of Brassempouy、或いは、単に、「女神の頭」とも云う。
この小像は、他のものと非常に違った様相を示している。顔の表情は非常に微妙に表されているし、頭の線彫りも髪又は髪飾りを忠実に表していると思われる。
最初は、Pietteは、この旧石器時代の人々とエジプト人が関係があるのではないかと思ったほどにこの頭の彫刻の表現はエジプトの人形のものと似ている。
この小像は、美の探究・美しさと言う点では、他のいささかグロテスクなビーナスたちと対照的であり、Pietteの「the white,Cro-Magnons of Piette's two-race theory」の発想の元となった。

        



* Venus of Lespugue

1922年に、フランスのLespugueにあるRideaux洞窟から、西暦紀元前20000年から18000年のものと思われる、マンモスの牙で作られた、高さ14cmのVenus of Lespugueが発見された。
このビーナスは、発掘で破損したが、後に、復元された。写真で見られるように、頭は小さく楕円形をしており、細い腕を前に回して、巨大で垂れ下がった乳房の上においている。

臀部、胸部、そして、腹部は異常に強調され、脚の後ろは溝のあるエプロンで隠されている。

この脚を隠したエプロンの解釈は、いろいろと議論がされたところで、Soffer,Adovasio,Hyland等は、衣服の証拠だとし、他の人は、髪の毛だとしている。この小像を、上下をひっくり返し、後ろから見ると、丁度、トランプに書かれた絵のように、「長い髪の第二の像」があるように見えるのが、髪の毛だとする根拠である。



* Venus of Laussel 角笛を持った女

フランスのドルドーニュ川Dordogne地区で、医者であるJ.G.Lalanneにより1908年に発見されたVenus of Lausselは、43cmの高さの大きなものであり、石灰石の洞窟の壁に刻まれていた。
西暦紀元前22000年から18000年のものと思われている。

この像が刻まれた部分は、少し、張り出していて、像がわずかに突き出ている。横から見ると、その曲線は、ぴんと張った弓のように見える。
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Alexander Marshackは、この像を、「13の線が刻まれたバイソンの角」を持つ「豊満な、然し、平板な、顔のない」女と表現した。彼は又、像が、かっては、赤褐色に塗られていたと言っている。

彼は、この像は、後期旧跡時代の農業の女神であった獣の女王の祖先的な女神であり、この女神は後に、「月の神話、…雄牛の三日月形の角…女性器の外陰部…そして、裸の胸」を持つものに変わって行ったと憶測している。Lausselから発見された第二の浮き彫りは同じようなものであったけれども、彼は、この憶測は、いささか限定しすぎたものであり、単なる一つのヒントに過ぎないと認めている。
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*Industry: Archaeology
a.A collection of artifacts or tools made from a specific material:a Mesolithic bone Industry
b.A stanardized tradition of toolmaking associated with a specified tool or culture: astone hand-ax industry; the acheulian industry

The Gravettian toolmaking culture was a specific archaeological industry of the European Upper Palaeolithic era prevalent before the last glacial epoch. It is named after the type site of La Gravette in the Dordogne region of France where its characteristic tools were first found and studied. It dates from between 28,000 and 22,000 years ago and where found, succeeded the artifacts datable to the Aurignacian culture.

The diagnostic characteristic artifacts of the industry are small pointed restruck blade with a blunt but straight back, a carving tool known as a Noailles burin. (See to compare with similar purposed modern tool: burin)

Artistic achievements of the Gravettian cultural stage include the hundreds of Venus figurines, which are widely distributed in Europe. The industry had counterparts across central Europe and into Russia, as did the predecessor culture, which is also linked to similar figurines and carvings.

A phase (c.28,000?23,000 ya) of the European Upper Paleolithic that is characterized by a stone-tool industry with small pointed blades used for big-game hunting (bison, horse, reindeer and mammoth). People in the Gravettian period also used nets to hunt small game. For more information on hunting see Animal Usage in the Gravettian. It is divided into two regional groups: the western Gravettian, mostly known from cave sites in France, and the eastern Gravettian, with open sites of specialized mammoth hunters on the plains of central Europe and Russia

20世紀当初、オーリニャック文化はムスティエ文化とソリュートレ文化の間に位置付けられたが、その後フランスの考古学者アンリ・ブルイユによって新しくこれらの文化を3期に区分し、それぞれシャテルペロン文化、オーリニャック文化、グラヴェット文化と呼称する学説が提唱された。また、1933年にダニー・ペイロニー(fr)によって提唱された、オーリニャック文化のみを5期に区分し、シャテルペロン文化とグラベット文化は連続した文化(ペリゴール文化)とする説もある。他方、オーリニャック文化の起源は西アジアであるとする説もあり、オーリニャック文化に関する編年学的問題はまだ解決されていない。

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